静岡マラソン2024 レースレポ③

レース

静岡マラソン2024のレースレポ③です。ハーフを過ぎたところから。

ハーフの通過が(手元の時計で)1時間17分15秒くらい。目標とする2時間35分にはギリギリで貯金なし。このままラストまでペースを維持できるか不安なところ。

この区間、決して意図した訳ではないものの、ぼくが集団の先頭へ。ただそれも一時的なもの。右折を何度か繰り返し、南安倍川橋へ向かう上り区間で少しペースが落ちたため集団の中盤~後方の位置へ下がりました。が、決して離れることなく対応できています。

南安倍川橋を渡り終わった辺りは道路がバンクしていて(左傾斜がついていた)走りにくかったことを覚えています。隣にいたナベスケとも「バンクが走りにくいなー」という感想で一致しました。

ここでナベスケが後方を振り返り、「ヤギさん抑えたんですかね?」と言う。そういえばハーフを通過してからヤギさんがぼくの視界から消えていました。すぐ後ろにいるものだと思っていましたが、この時点で少し離れていたのかもしれません。ぼくは後ろを振り返るほどの余裕もなく自分の目では確かめられませんでしたが。

ここからは久能海岸の長いストレート。いつもは強風が吹き荒れるこの要注意区間ですが、この日は風も弱くてベストコンディション。これでやれなかったらいつやるんだ。言い訳なしで進むのみ。

この時はまだ強気にそう思っていました。

25km通過は1時間31分40秒。ギリギリてはあるもののまだ堪えている。なんとかペースダウンは免れたい。幸いこの集団はみんな目指すところが同じはず。きっちり3’40″/kmで刻んでいるため着いていけば問題ないはず。

少しずつ疲労が溜まっているのは自覚していましたが、まだまだ動きには余裕がありました。気持ちも落ち着いている。

30km通過は1時間50分12秒。ここもギリギリ。でも大きなペース変動もなく順調。残り12km、なんとか耐えて行くぞ。強い気持ちで。

そう思っていました。

30kmまでのラップ。

次の瞬間。何が起こったのかすぐには理解が追い付きませんでした。あ、と思った時には左足首には激痛が走り、ぼくは転倒していました。

見ると道路に陥没箇所がある。そこに左足を着いたことで捻ってしまったようです。

パニックでした。すぐに起き上がって集団を追いかけなきゃ。そう思うものの、右のふくらはぎと左の前腿がつっている。特にこの時は右のふくらはぎの痛みが酷く、すぐに立ち上がれませんでした。おそらく転倒の際に右足で踏ん張ろうとして変な接地の仕方になってしまったのだと思われます。

沿道にいた方々からも、「大丈夫ですか?」「怪我はないですか?」と矢継ぎ早に声を掛けて頂いたものの、とてもそれに答えている余裕がありませんでした。完全に無意識でしたが、激痛に耐えながらぼくの口からは「嘘でしょ? 嘘でしょ?」と独り言が漏れ続けていました。

でも嘘じゃない。これは現実。

まさか自分の身にこんな事が起こるなんて。どうして。よりによって自分が一年で一番大事にしていたレースで。

集団の中盤~後方にいたため、道路の陥没箇所に全く気付けませんでした。今振り返ってみればそれも自分の不注意が原因。でもこの時はそんな冷静さはなく、どうして公認コースに陥没箇所なんかあるんだ、と、そんな風に思っていた記憶があります。八つ当たりですが、つい誰かのせいにしたくなったのかもしれません。

ただ、後続の選手を巻き込まなくて本当に良かったです。

ようやく立ち上がり、よろよろと走り始めました。この時点で痛みがあったのは3箇所。①陥没箇所で捻ってしまった左足首、②転倒を免れようとして踏ん張った際に痛めた右のふくらはぎ、③(どういう理由か不明ですが)転倒の際につってしまった左の前腿。

この状態で残り12km。2時間35分切りはもちろん、そもそも走り切れるのか不安でしかなかったです。

でも。

それでも、「引く」という選択肢はない。行くんだ。

ようやくリスタートすると、上記3箇所の痛みにより走り方がぎこちない。ただ、③左の前腿に関しては走って行くうちに少しずつ解消していき、結果的には大きなトラブルには発展しませんでした。

31kmのラップは4’02″。直前の30kmのラップが3’42″だったため、ざっくり20秒はロスしているのが分かりました。感覚的にはもっと何分間も立ち上がれなかった気がしていたため、「20秒のロスで済んだのか」という想いと「とは言え、20秒もロスしてしまったのか」という想いが交錯しました。

問題はここから。単純に20秒のロスだけで済むならまだ被害は少ない。①左足首、②右のふくらはぎ、の2箇所の痛みを抱えながら転倒前の水準までペースを戻せるか。戻すことが出来たなら首の皮一枚繋がっている可能性があると思っていました。

しかし現実は甘さ控えめ。

32kmのラップは3’49″。続く33kmのラップも3’48″と、元のペースまで戻りません。両足を庇いながらのフォームではどうしても思い切って踏み込めない。前傾姿勢も保てません。

どうして。

よりによってこのレースで。

嘘でしょ?

意味のない、何の役にも立たない事ばかりが頭を占めていきます。

でも、それでもDNFという選択肢はなかった。例えばこのタイミングで神様みたいな人がどこからか現れて、「君はもうどんなに頑張っても2時間35分は切れないよ」と言われても、きっとぼくは止まらなかったと思う。

だってぼくは不器用だから。

そんなに聞き分けが良くできてないんだ。

今やれるベストを尽くす。それだけ。

35kmで折り返し。この前後でたくさんの仲間とすれ違いました。みんなそれぞれの戦いをしていて本当に格好良かったです✨

特に、後ろから来た同級生のタダアキ(今回はBブロックスタート)が抜いていく様は、既に35kmも走って来たとは思えないほど身軽で格好良かった。体幹ぶれてないなー、と思ったのを覚えています。「タクミ行けるぞ!」と掛けてくれたその声に何も反応できなくて申し訳なかったし、不甲斐なかったです。

ここからコースは清水の街中に入っていきます。必死で踠いてみるもののペースは上がらず、少しずつ緩やかに落ちていきました。38~39km辺りで、草薙激走会や月例しまだでいつもお世話になっているヤマザキさんが「まだまだ行けるよ! ここから2分は変わる!」と檄を飛ばしてくれました。

ヤマザキさんはぼくより1回り歳上のレジェンド。でもぼくより速いんだから年齢は言い訳に出来ない。今回の静岡マラソンは直前の体調不良(例の流行り病)により間に合わずDNS。本当に悔しい想いをしたはず。それでもこうして仲間の応援に駆け付けてくれるんだから本当にありがたい。

ヤマザキさんより。

そんなヤマザキさんをはじめ、応援してくれる友人がいる。一緒に苦しい練習を乗り越え、今まさに一緒に戦っている仲間がいる。そしてずっと一番近くでサポートし続けてくれた妻と息子がいる。

これまで関わったいろんな人たちの想いに応えたい。なのにそんな気持ちだけでは身体は思い通りに動かず、それが歯痒かったです。

40kmのラップが4’04″とついに4分を越えてしまう。苦しい時間帯が続きます。なかなか次の1kmが来ない。

40kmまでのラップ。

ラスト1kmを切った辺りで再び会社の先輩イチカワさんが応援してくれていました。わざわざ静岡から清水に移動してくれたのだと思うと頭が下がります。

この時点で目標としていた2時間35分切りが無理なことは理解していました。でもそれはもう関係なかったんです。

なけなしのラストスパートをかけてゴールに飛び込みました。

結果は既報の通り2時間38分16秒(グロス)。スポーツに「たられば」はないから、「転倒がなければ」「怪我してなかったら」を議論するつもりはありません。はっきりしている事実は、今回ぼくが2時間35分を切れなかったという事だけ。

だから次は証明する。必ず2時間35分を切って証明します。

まずはその前に怪我を治すところから。長くなってしまったので、レース後の様子や怪我の状態についてはまた次回。

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